まみ めも

つむじまがりといわれます

バートン・フィンク

知らない間に台風がかすめていたとかで、風が吹いたらしく、水曜の朝、門扉をあけたらアスファルト金木犀の花が散らばって小紋柄のようだ。ここのところ金木犀のにおいがそこら中に立ちこめてむせかえるみたいだったが、これですこし落ち着いてくれるかもしれない。においだ瞬間にすり抜けるぐらいの濃度が一番ときめく。
宿六は、結膜炎の点眼でアレルギーを起こし、白眼の充血はなはだしかったが、今度は糸状角膜炎になり、目医者で病巣をべりべりと剥がして、血の涙を流したらしい。視界もきかず、出勤停止になってしまった。危ないので外にも出られず、家のなかで洗濯に精を出してみたり、こどもの洋服の名前つけをやってくれたり、あとはテレビも疲れるので枝雀をきいているらしい。仕事から帰ったら、夕飯の支度に箸やスプーンやコップが並べてあった。並べてもらった箸をしまい、フォークを出して、ミートソースのスパゲティをみんなで啜る。

コーエン兄弟。階段をふみはずすように、気づかないうちにいろいろと踏みはずしていたら、気づいたときには世界の裂け目の淵に立たされている。そうかと思うと、神様は意味のあるようなないような奇跡を起こしてみせる。たとえば、こないだ、阿覧関が引退して、そのときの相撲のツイートで、阿覧関が視力検査で「C(シー)?」とやっているチャーミングな画像をみた、その翌日に、すれ違ったおばさんが着ているTシャツがD?というプリントだった。そんなとき、神様が世界にレ点をいれたなと思う。神様は、基本的にはしらんぷりでとことん踏みはずさせておきながら、絶妙のタイミングでしるしをつけて存在をアピールする。なんの意味ももたない奇跡が、世界をやたらチャーミングにしたり、絶望的にしたりする。
ブシェミは、オダギリジョーを異様にしたような感じだけれど、なんだか、神様のレ点にぴったりするような男かもしれない。