まみ めも

つむじまがりといわれます

久生十蘭全集〈第1〉

定点観測の梅のつぼみが膨れてきているのに気づいていたが、火曜にひさしぶりでのぞいたら、白い花がひらいていた。一昨年は1/31、昨年は1/28ときて今年は1/21なので、随分はやくひらいた。こうなると、雪が降ろうが、霜が降りようが、春が来たも同然で、こころはノンストップで春に向かって転がっている。実際に気候がうらうらする三月にはなんとなくアンニュイな気持ちが混じるもんだが(新しい季節はなぜか切ない日々で、と歌っていた草野マサムネの気持ちが今になってよくわかる)、二月の時点ではまっさらの春のよろこびに溢れている。

「黒い手帳」
「海豹島」
「地底獣国」
ハムレット
「鈴木主水」
「母子像」
「魔都」
今年はずしりとした本が読みたいと思い、久生十蘭全集を図書館で予約。三一書房のものは、全集といっても完全版でなく、国書刊行会のものが完全版ではあるらしいが、持ち歩きするなら三一書房のもののほうがコンパクトにできている。「黒い手帳」「ハムレット」は既読だったが、この人の短編に宿るスピード感に色気に才気、必要最低限のことばで最大の効果をはなつ、なんだかもう胸がつまって、どきどきしてもったいないもったいないと思いながらページをめくるしあわせったらない。「黒い手帳」の冒頭、

黒いモロッコ皮の表紙をつけた一冊の手帳が薄命(ファタール)なようすで机の上に載っている。

なんとなく、この一文だけで、恋に落ちてしまいそうなぐらいにどきんとする。たしか久生十蘭は口述筆記だったと思うが、書き留めていく人は、こんなことば群に撃ち抜かれて、ハートは穴だらけになったろうなと思う。こんなことばに射抜かれるなら、僥倖だろうな、わたしも散々に撃ち抜かれて、穴ぼこなのかなんなのかわからないぐらいのものになりたい。