先週末は歯のクリーニングに行ったんであった。はや昼のあとで、ベランダに干してあった布団をとりこんで、寝室にあがったこどもたちにバイバイをして、ひとりでぷらぷらと駅前に出て、コーヒーを飲み、留守番のご褒美のドーナツを買う。リクエストは、チラシから選ばせて決めてあった。セイちゃんはフレンチクルーラー、フクちゃんがポンデリング、宿六はポンデショコラ、わたしはいつものチョコファッション。歯医者では、塩素で消毒しながら歯石を削るので、にがいですよといわれたが、それよりも口の中がプールくさくて弱った。歯周ポケットの中まで削るので、においと痛みがしみる。だいぶ血もにじんだらしく、うがいの水が夕焼け色してた。なんとなく、血が出たことで小ざっぱりしたような気持ちになって、外に出たら、昼寝から覚めたこどもたちがドーナツのシュプレヒコールをやっているという。急ぎ足でスーパーにいき、週末の買い出しをすませ、帰宅、荷物を放り出してこどもたちにドーナツを出してやると、食卓についてらんらんと瞳を光らせて、かぶりついていた。
庄野潤三のおにいさんは、「英二おじちゃんのばら」として、晩年シリーズに出てくる。戦時中は南方にいっていたとかで、新潮文庫の「夕べの雲」のなかに戦犯の疑いで裁判にかけられる話もあった。おにいさんは童話作家で、一度、図書館で借りた絵本が庄野英二「きのうえのほいくえん」だった。いろんな動物がでてきて、セイちゃんも気に入っていたが、今度は英二おじちゃんの短篇集を図書館で予約して、借りてきた。編集工房ノア。ジャワでの体験に基づくのか、南の島の話もいくつかあった。だいたい、というのを、向こうのことばでキラキラという、そういうくだりがあって、うそかまことかと思って読んでいたが、たまたまそのあとに読んだ高見順日記で、ジャワにいった高見順がやっぱりキラキラのことを書いていたので、本当にキラキラという言葉があるらしい。わけもなくうれしくなる。庄野英二の短篇は、どの話もしなやかで、ねっこの逞しさを感じさせる。戦地で負傷して帰ったときに、ふだんは厳しいおかあさんが、「ごめんよ、かんにんしてよ、いたかったでしょ」と泣いたという話がこたえた。こどもをうむというのはもう完全なエゴなのであって、生んだ時点でかんにんしてくれという気持ちがどこかしらある。こどもの背負うものに対して、ぜんぶかんにんしてよと謝りたい。深沢七郎が、
それでも俺、生きていて幸福だなんて思ったことないね。生まれてきて損しちゃったと思うもの。生まれる前の方がうんとよかったもの。
と書いているのを読んだときには、ひれ伏したい気持ちがした。どうにかして、生まれてきてよかったと、勘違いでもいいので思わせるようにしむけなければ、死ねないなと思う。