まみ めも

つむじまがりといわれます

小さき町にて―フィリップ短篇集

土俵際で遠藤がクルリとやって、稀勢の里に勝った。玉鷲琴欧洲とくだして連勝。稀勢の里のときは地元の穴水から日帰りで応援がきていた。みんな、バスに乗って、家に着くのは真夜中だというから振るっている。殊勲インタビューで地元の応援について言及されたときの、ほっとしたような笑顔がキュートだった。翌日、好角家の上司と遠藤の話をしていたら、若い女の子が、なんの話っすか、ときいてきて、遠藤はイケメンだよと教えたら、まじっすか、画像検索しちゃいますよ、と息巻いていた。相撲を見るようになってから、新しいイケメンの物差しができた。自分のなかにいろんな物差しがあるのはよいことだと思う。

小さき町にて―フィリップ短篇集 (岩波文庫 赤 562-1)

小さき町にて―フィリップ短篇集 (岩波文庫 赤 562-1)

岩波文庫別冊の「読書のたのしみ」(図書館のリサイクル本の棚からもらってきた)で、増田れい子が巣穴本として紹介していた。わたしも巣篭もりして布団にもぐりこんで読みたいところだが、仕事もあることなので、通勤の電車でめくる。シャルル=ルイ・フィリップ。たった35歳で腸チフスで亡くなっている。臨終のことばは「美しい!美しい!」。序文がとてもよくって、なんでもない叙述に愛というのか、ねがいの透明さが満ちている。本当のご馳走はおなかがいっぱいにならないと開高健がいっていたが、本当の名作も透明の充実だと思う。

私は八月のある夕、白と鼠と青色のほんたうに小さな町に生まれた。その名は云ふまい。云つても誰も知らないだらうから。けれども、諸君にその町が少しでも分かるやうに、私は町を描いてみよう。

実際は架空の町にいきる人びとのスケッチなのだが、白と鼠と青色のシンプルさで、生き生きとせつない生活が描かれている。あとがきで、「フィリップは彼自身の魂を内部から照らし出す作家、謂はば光源なのである。讀者はその快く温かな光りを浴びて心洗はれるのである」とあったが、まさしくそんな感じ。なかに神様でもはいっていたのかもしれない。フィリップ自身のことばによると、
われわれは互に愛するといふこと以外に生命の源泉を持つてゐない。されば私はいつも、自分の頭脳の命ずる以上に愛情をこめて書くのです。
こめられた愛情がうち側からぴかぴかとまぶしい。何度だって浴びたいような光。