まみ めも

つむじまがりといわれます

歩くキノコ

日曜の朝、洗濯を干していたら(干していたのは宿六だが)ベランダでお天気があんまり気持ちいいもんで、美術館にいく予定だったのを、そのまま公園でピクニックしようということになった。したにおりてラジオを聞きながらタッパーのごはんをあたためて、ふりかけを混ぜておにぎりを作り、食パンにマヨネーズをしぼって、ハム、ケチャップ、ポテトサラダ(余りもの)でサンドイッチ。つけっぱなしにしていたラジオで、誰だろうと思っていた男の人がギターを弾いて歌い出したら曽我部恵一だった。いっときは、恋をしているレベルですきだったが、やっぱりギター一本でうたう曽我部さんが一番いい。うたった曲は、ちりぬるを、おとなになんかならないで、The Velvet UndergroundSUNDAY MORNING(とても好きな歌)、春の嵐。おにぎりをにぎった手についた飯粒をなめたり、台所の生活音と、ラジオから流れる曽我部さんの歌声とが、ものすごく似合って、このまま世界が静止してしまうのではないかと思うような完璧な時間だった。わたしのいるほうの世界は静止しなかったので、簡単な弁当を袋にいれ、お茶と唐揚げをコンビニで調達してから公園にいき、美術館でピカソの陶芸展をみて、芝生の木陰でお昼をし、しばらく広場で遊んで帰った。

歩くキノコ

歩くキノコ

きのこ文学大全の飯沢耕太郎の本を図書館の紀行本コーナーでみつけて、一も二もなく借りる。飯沢耕太郎が絵も描いている。キノコのことはそんなに出てこない(タイトルのキノコは自分のことらしい)旅のエッセイだった。ご本人は自分自身でポジティブとおっしゃっているが、なかなかどうして、日陰のじめじめした感じが伝わってくる。カフカのオドラデクやグレゴール・ザムザ、それに猫町がでてくるので、勝手な親近感で、根暗と決めつけたくなるのかもしれない。

旅をしていて一番好きなのは、もしかするとある場所から別の場所へ移動している時間なのかもしれない。
(中略)
先に何が待っているかは知らないけれど、この移動の時間は心を解きほぐし、風をはらんだ帆のようにふくらませてくれる。澱んでいた水が流れ出す。

なかなか旅には出られないけれど、旅情なら文字の上にだってある。