まみ めも

つむじまがりといわれます

ピカソの陶芸

金曜の朝、小松を通る福井発のはくたかとMAXを乗り継いで浦和に帰宅。ひとりでこども二人を連れてなんとかやれるだろうと思っていたが、心配性のおかあさんが、無理だといって、家までついてきてくれた。小松駅でパンやジュースやおにぎりを買い込み、おかあさんがバナナやオレンジやキウイフルーツをタッパーに詰めておいてくれたのを、車内で朝ごはんにする。キウイフルーツは、ためしてガッテン!好きのおかあさんが、ヘタのところをぶつけて甘くしたオプションつき。おにぎりは、駅のコンビニにお店が入っていて、握りたてのほかほかを売っている。海苔がぴっちり巻かれてごはんでしっとりしていた。車内販売のホットコーヒーをもらい、飽きてくるこどもたちをなだめながら最寄り駅に到着、大粒の雨がこぼれかけていたが、駅そばの中華屋に駆け込み、ラーメンと餃子と炒飯をならべて食べているうちに小止みになった。おかあさんとこどもを店内に残して、ふたつ隣の八百屋で野菜やフルーツを買い込んでいたら、フクちゃんがお漏らしをし、狭いトイレでせっせとやっていたらセイちゃんが催し、というのが一番のハイライトだったが、なんとか帰宅。おかあさんは風と雷鳴が遠くにきこえるなかをとんぼ返りで手を振ってでていった。と思ったら戻ってきて、帰りの車内で読む本を貸してくれという。軽いのがいいというので、「犬の話」のアンソロジーを渡す。おかあさんを見送る気持ちは、わけなく心細く涙がでそうになる。一週間ぶりの庭は、南瓜の芽がまた増えており、スーパーで買った小葱の、使った残りの根っこの部分を植えておいたのが伸びていた、野いちごは出かける前は花がひとつ咲いていたのが、終わって、あたらしい花がふたつ咲いていた。鉢植えの花はやっぱり萎れてしまった。水があればかわいく咲いただろうな、と申し訳ない気持ち。

ピカソ展をみたのは、先月の24日なので、もう二十日も前なのだが、そのあと27日にも家族で見に行った。県立近代美術館の会員になっているので、パスを見せれば何度でも出入りできる。ピカソが晩年にはじめた陶芸にフォーカスした展示で、多くはヨックモックが所蔵しているものらしい。ピカソの、無邪気に没頭してつくったのがわかる平明さで、とても良かった。タイトルは乳だったかなんだったか、茶碗サイズの腕の底に、乳首がポチッとつくってある器に、ほのぼのした。フクちゃんが、いつも乳首をつまんでくるので、だっこして、これは?と見せてみたが、わかんないといっていた。おっぱいだよ、と教えてやる。闘牛の絵もよかった。筆の流れのシンプルさだけで動きを伝えている。ピカソは、芸術家にならなかったら闘牛士になりたかったくらい闘牛が好きだったらしい。ミュージアムショップで鳩や花束のドローイングの絵葉書を買って、友達に一通出した。