まみ めも

つむじまがりといわれます

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

保育園から前の通りに出たところで、ひとりの妊婦さんがあわてて家から出てきて、男の子をみませんでしたか、という。暑いので網戸にしていたら、ふと目を離したすきに、2歳の男の子がいなくなって網戸があいていたという。先生がたもお迎えのおかあさんたちもいたので、みんな帰りの道を手分けしてさがしながらいくことにした。お仕事中の先生も通りにでてきてさがし始めた。おかあさんは取り乱して、おおきなおなかで走りながら、こどもの名前を呼んでいる。家につくまでの道を、セイちゃんやフクちゃんと一緒にその子の名前を呼びながら歩いてみたけれど気配はなかった。夜じゅう気になって、日が暮れて暗くなって道もわからずに泣いていたら、事故にあったら、と、いろんなことを想像してしまい、おなかの大きなおかあさんの気持ちを考えたら泣けてきた。よく朝、きのうのうちに無事でみつかったという報せをきいて心底ほっとした。はだしのまま随分遠くまで歩いていたらしい。めったに事件らしいことの起こらない浮き沈みのない生活をしているので、よその家のことでも胸が詰まるような出来事だった。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

すこし前に休みをとった。のんびり食事をしたいなと思って、それ以外はなにも考えがなかったが、おなかも大きく歩きまわるのもしんどくなりつつあるので、映画をみることにした。ユナイテッド・シネマ浦和で朝一番の回のバードマン。中高年の男にありがちな冴えない人生が原寸大で長回し風に映し出されていく。最後はふわっと足元が地から浮いたような気分で映画館をでた。外はいい天気で、フランス料理屋にはいり、コースをたのんでたっぷり時間をかけて食事をした。ぶらぶら歩いて家にもどり、洗濯物をとりこみ、駅前でコーヒーとドーナツをひとつずつ食べた。レイモンド・カーヴァーを読んでみたくなって図書館で予約した。