まみ めも

つむじまがりといわれます

怪しい来客簿

帰り道に青果屋に寄り、いちごが安かったのでカゴに入れ、そのあとで八朔や豆腐も入れたら持ち重りがしたので、いちごを陳列にもどしてからレジにならんだ。レジのお姉さんが、ありゃ、なんだこのいちご、と言ったのでカゴをのぞくと、いちごがパックからひと粒落ちてしまっていた。ごめんなさいと、経緯をあやまると、ウーンとすこし悩んだあとで、なにかの縁だから、家族にかくれてたべな、といってビニールにひと粒いれてもたせてくれた。家についてから、台所で晩ごはんの支度をしながらひと粒口にいれる。安いいちごなので小さないびつな形。すっぱくておいしい。むかしは、いちごのことを色とフォルムで評価の高い果物だとおもっていたけれど、やっぱりおいしい。色とフォルムも、もちろんおいしいけれど、わたしはいびつでちびたすっぱみの強いいちごも好きだなと思う。恋だって、甘みだけ強いよりは思いきりすっぱくて甘さはかすめるくらいのほうが、いいと思うんだけどな。

怪しい来客簿 (文春文庫)

怪しい来客簿 (文春文庫)

腹立半分日記に言及あり、図書館で予約。とことん根暗な色川武大の、異形の人が次々登場する連作短編。しんどいしんどいと思いながらついつい読んでしまう。解説の長部日出雄が「色川武大の世界は、事実ありのままのようであって、そのまま白昼夢か悪夢のようにもおもえる。これは作者の想像力が、現実の世界を突き抜けたところにまで旅しているからで、そこは明らかにシュールレアリスムの世界」だといっていて、このしんどさとリンクしたトリップ感が、読ませる理由かもしれない。おなじく解説で「空襲のあと」に登場する得体のしれない婆さんについて、「人生の悲惨さと滑稽さの二重性から生ずるのがユーモアであるとするなら、老婆の鼻汁には、ピエロの泪とは裏腹の黒いユーモアが籠められている」と書いていて、ユーモアの語源は体液だというのをこないだ読んだばかりだったので(現代日本のユーモア文学〈6〉)、妙に納得した。