まみ めも

つむじまがりといわれます

夏の入り口、模様の出口

日曜の夕方、お風呂を浴びて、夕飯のまえに車に乗り込み、グループホームにいるばあちゃんのところへひ孫を見せてきた。ばあちゃんはベッドに横になっていた。農作業をずっとやっていたので、みごとに腰で直角になったからだで、ベッドから起き上がり、椅子に腰掛けてふーたんを抱いた。薄ぼんやりしていて、あんたまみちゃんか、と知ったような口をきいたかと思えば、この子らみんなあんたん子か、と驚いたりする。三人も産んだんか、こどもおりゃこそやぞ、万歳や、といって、両手をあげて万歳してくれた。自分の人生で、万歳してもらったのはこれがはじめてだろう。そしてひょっとしたら最後かもしれない。ばあちゃんの手をにぎって、おやすみをいって出てきた。ばあちゃん、肌がぴかぴかしていた。また帰ったら会いにこよう。

夏の入り口、模様の出口

夏の入り口、模様の出口

「生きている最中の、あるかどうかもわからないすべての入り口と出口に、面白くてロマンティックがうっかり爆発してしまうような、そんなひとときがあればいいなあ」
里帰り先の図書館本。盆休みに借りて、もう空気の百分率は秋>夏になりつつある季節に読んだ。週刊新潮連載「オモロマンティック・ボム!」の単行本化。これを読んでいると、ことばがあまりに軽快にぽんぽんとびだすので、「言葉にするのがほとんど厭で」といっていたのが信じられない。
いなかの図書館で借りた本は全部で12冊。もっと通いたかった気もするけれど、たっぷりたのしませてもらった。いい図書館だとおもうので、また帰ったら図書館にも寄ろう。