まみ めも

つむじまがりといわれます

ねこに未来はない

連休は夏祭りで、宵祭りと神輿巡業があった。腕を吊ったセイちゃんはお神輿を担がず傍を歩いてワッショイやっていた。骨折したということでちょっとしたヒーローになっていた。フクちゃんは幼児組で綱に捕まって練り歩く。引っ込み思案のフーちゃんは抱っことベビーカーで一歩も歩かず、次の日になってからやっとワッショイといった。休憩で年に一度のジョアをチューチュー飲む。汗だくでカラカラになった身体にめちゃめちゃキく。ことしはいちご味。折り花でチープに華やかな山車がいかにも地域のお祭りという感じで、こういうなんということのないお祭りを一途に毎年繰り返す暮らしがあるということ。

ねこに未来はない

ねこに未来はない

ブ。200円。タイトルと長新太の表紙にひかれて。

かわいいねこたちが、ある日突然、姿を消した! きびしい現実のなかで未来を奪われたねこたちに寄せた、さわやかなユーモアとあふれるウィット。ねこ好きの奥さんとぼく、二人の間にうずくまり、あくびをし、歩きまわり、そして去っていったねこ、ねこ…。ねこをめぐる人間の生の歓び、心の苦さを曇りのない眼でとらえて、話題をよんだ珠玉の物語エッセー。
ねこに未来はない
ねこ踏んじゃった
わが友マーマレード・ジム

まさしく詩人の綴るエッセイで、新婚という状況も手伝ってまったく地に足がついていない、ブラボー。ねこに未来はないというのは、猫は前頭葉がないから過去と未来を認知できないというのが新聞記事にあったというところからきたタイトルで、そんなまさかと思ったけれどやはり猫に前頭葉はある。過去と未来があるかどうかはつまるところ猫にしかわからない。あってもいいし、なくてもいい。過去の記憶のことごとくがあやふやなわたしの前頭葉の立つ瀬はない。