まみ めも

つむじまがりといわれます

猫はしっぽでしゃべる

帰り道でガレージの軒先に「ご自由に お持ち下さい」と黒のマジックで書かれたうす汚れた段ボール箱がおいてあって、中に名状しがたいセンスのおもちゃが詰まっている。それをみつけたセイちゃんが、いいものがあるよと目をきらきらさせて、こどもたち、三人で迷いながらひとつずつ選んできた。ラッコ、かも、キティちゃんのぬいぐるみ。いずれも完成度が低く変なしみがついていて、気の毒さがわいてくる。週末に洗濯したらしみは取れたけれども、気の毒さはなくならない。キティちゃんはどう考えても頭と体のバランスが知っているものとは違うのだけれど、ちぎれかけたタグにはSanrioと書いてある。Sanrioだけれどメイドインチャイナ。いずれにしてもこどもたちは気に入って、ままごとに登場させたりふとんに連れていったりしている。なぜか気の毒なぬいぐるみにはわたしも勝てる気がしない。いつまでもここにいていいのだよと思っている。

猫はしっぽでしゃべる

猫はしっぽでしゃべる

ト。

熊本の小さくて不便な本屋「橙書店」。看板猫と共に日々店に立ち、人と人、人と本とをつないできた店主が、本と猫と記憶について綴った、初めてのエッセイ集。『アルテリ』等掲載に書き下ろしを加え単行本化。 

猫をだされると弱い。新着資料からタイトルで予約。こういうふうに手の届く仕事がやれるというのは、大変にはちがいないけどやりがいのあることなのだろうな。