まみ めも

つむじまがりといわれます

喪失学

iPhoneをことあるごとに落っことしたり、雑に扱っていたらついにいかれてきたようで、辺縁部のタッチがきかなくなってしまった。いろいろ不自由はありながらあの手この手でごまかしながら使い続けている。肝が小さいので、スマホ機種の値段を見るとびびってしまってなかなか買う気になれない。機種もよくわからないしどれもものすごくハイテクなマシーンに見える。もっと安くてちゃちくておもちゃみたいなスマホはないもんだろうか。何万円もするものを携帯したくないのが本音。

和田誠の家族のコメントが、いちいちよくて、メモっとこ。

平野レミ
「肺炎を患ってからはご飯を食べられなかったので、和田さんが好きなご飯をたくさん作って、安らかな顔の横に置いてあげました。最後の料理を作っている時はすごく幸せで、『私にとっての一番の幸せは、和田さんにご飯を作ることだったんだ』とあらためて気付きました。47年間、私の料理を美味しい美味しいって食べてくれて、本当にありがとう。安らかにね」

和田唱

親父が天国へ旅立った。最近は日々具合が悪くなっていったから、どこかで覚悟はしていたけれど、同時に奇跡が起きることも願っていた。でもそれは叶わなかった。今思えば、きっと、親父なりにベストなタイミングでの旅立ちだったんだろう。親父はキャンプとか釣りとかスポーツとは無縁で、その辺のことは一切教えてくれなかった。お陰で俺はインドア派だし、スポーツのルールも大体知らない。でも親父は映画を教えてくれた。ジャズを教えてくれた。ルールに縛られないこと、好きなものは好きでいいこと、自分がこうだと思ったら貫くことを教えてくれた。お陰で俺は幸せな人間だ。だから明るくサヨナラをしたい。それが和田家流だ。でも魂は死なないし、心にその人がいる限り、どのみちサヨナラなんてない。肉体的なしばしの別れに過ぎないから、「おとう、またな!」くらいにしておこう。でもThank YouとI Love Youは添えておくよ。 唱

喪失学 「ロス後」をどう生きるか? (光文社新書)

喪失学 「ロス後」をどう生きるか? (光文社新書)

 

ト。

家族、友人、ペット、健康、時間、夢や希望、そして自分の命…。命ある限り生じる「喪失」といかに向き合っていくべきか。死生学や心理学の理論、当事者の声、グリーフケアの実践から、来るべき喪失に備える。ワークも収録。

 ロスることはどうしようもなさそうで、いよいよさが増すにしたがって、やれることのなさが際立ち、本になぐさめてもらう。持っていないものはなくせない、という一文にはっとする。