まみ めも

つむじまがりといわれます

家族

夕暮れどきに沈丁花のにおいが遊歩道に漂っている。しつこいような甘えたにおいのくせに、すこし離れるとすっといなくなる。思わせぶりなやつめ。蝋梅のにおいはまだ春待ちの気配だけれど、沈丁花のにおいはもう春の入口に立っている気がする。木蓮が咲くと春のはじまりの終わりだと思っていたけれど、木蓮沈丁花は足並みがそろっているんだな。スーパーの棚から煮込みラーメンもなくなり、もう戻れないところまで春になっている。きょうはうぐいすが囀りの練習をしていた。

ト。

時代が良ければ、場所が良ければ、もしかしたら今も3人は生きていて、年に一度ぐらいは集まって、笑い合いながら近況報告ができていたのかもしれない。何度も手痛く裏切られ、それでも愛していた家族の姿を描いた実話。

家族のしんどさが胸をしめつける。向田邦子が、最悪殺し合わなければオーケーみたいなことを言っていたけれど、ともに生きるということは相手を少しずつ殺しているようなところもあるなと思う。