まみ めも

つむじまがりといわれます

贋作吾輩は猫である

贋作吾輩は猫である―内田百けん集成〈8〉   ちくま文庫
内田百間
八月の終わりに鎌倉から浦和に帰る。鎌倉での生活は、なんというのか、気の利かないわたしがなんとか気を利かそうとするものだから、無理があったといわざるを得ない。ないものをあるように振る舞う、太宰治の女生徒ではロココ式といったような気がするが、あれである。三週間のうちに、ないはずの気がくったりと疲れた。そういえば、学生のころ、脳科学の講義で、断肢して脚のない人が、ないはずの脚の小指が痒くなるというのをきいたけれども、ないものがどうこうなるというのはさぞかし厄介だろうと同情する。わたしもないはずの気が疲れたが、その本体である気の部分がないのだから、どうしようもない。どうしようもないながらに、浦和の生活がはじまり、家の片付けや、プリンを焼いたり、こどもの注射、洗濯、かいもの、弁当をこさえてと、奔走していたら、じぶんの生活が戻ってきたような張り合いがうまれ、溌剌としてきた。
鎌倉では、義父から気晴らしにとハングルのうまれた経緯に関する新書をわたされたのを、申し訳程度に斜め読みし、途中でうっちゃって、内田百間を読んですごした。贋作と銘打った正真正銘まがいなきニセモノで、ゴシャミ先生がひゃっけん先生なのかと思いきや、蛆田百減なんていうあやふやな名前の人物が登場し、見事に翻弄されてしまう。ひゃっけん先生の珠玉の屁理屈が随所でこねられているのにいちいちふふふとなる。ふふふとなる一方で、気持ちはけして油断せず、耳を済まし、一間隔てたキッチンで夕飯の用意がはじまるのをいち早く察知し、駆けつけ、お手伝いを我先に申し出るという使命も忘れない。嫁というのはなかなか加減がむずかしいものだと知る。
ちくま文庫が嫁のように気を利かせたものか、はさまれた栞には猫が鎮座していた。